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黄/埔/軍/校(5)

 黄/埔/軍/校レポは今回で最後です。

 今回は黄埔島(長洲島)にある他の施設を紹介。



孫/文/故/居


 黄埔島の船着場に着くと、まず丘の上に軍校の創立者であり中国革命の父である孫文の銅像を見えます。そして軍校へ向かう道を行くと、最初に現れるのが黄埔島における孫文の家「孫文故居」です。

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 ・・・・・・なんともカレー臭漂う建物ですが、広州にある孫/文の政府公館「大/元/帥/府」もまたこんな色。・・・・・・黄色大好きなんか? 孫/文。


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 そしてこの建物の入り口には「黄埔軍校旧跡記念館」の文字が。
 ・・・って、これじゃこの建物が「黄/埔/軍/校」なのかと勘違いする人続出なんじゃ・・・・・・
 でもこの文字、この軍校の(伝説の)第1期卒業生にして人/民/解/放/軍/十/大/元/帥の一人・徐/向/前の手に揮毫なのですね。1983年に作られたようです。
 ちなみに他に黄埔の卒業生または教官であった十大元帥は、林/彪(第4期生)、聶/栄/臻(政治部秘書&政治教官)、陳/毅(武漢分校教官)、葉/剣/英(教授部副主任)、徐/向/前(第1期生)。元帥の下の大将クラスでは、陳/賡(第1期卒業生、教官)、羅/瑞/卿(武漢分校生)、許/光/達(第5期生)がいる。共産党系で他に有名なのは、周/恩/来(政治部副主任)、満州で抗日闘争を指導した女性・趙/一/曼(武漢分校生)、左/権(第1期生)など。


 「孫/文/故/居」はもちろん中も見学できます。
 その二階バルコニーから見た光景。


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 珠江が目の前に見えてなかなかのロケーション。
 と、思ってたら中国人の女の子グループに声をかけられました。この頃、私は今以上に中国語が出来なかったのですが、女の子がグループでいてカメラを差し出しているのならば意味することは一つ。私達の写真を撮ってください、だ。
 で、断る言葉も思いつかないんで(まあ、わかっても断らなかったが)引き受けたのだけど、チーズの言葉がわからない・・・・・・何とかアイコンタクトでシャッターを押してあげたけど、この時点になると彼女らはやや驚いた目で私を見ていた。外国人だと気づいたのだろう・・・・・・そうだよね、外国人の女が一人で軍校を見学しているのって珍しいよねぇ~。



軍/校/倶/楽/部


 船着場から軍校へ続く道とは逆方向に行くと、「軍/校/倶/楽/部」と呼ばれる建物に着きます。
 この倶楽部は、大礼堂とも呼ばれ、1926年3月に落成。
 4000人が収容可能な施設で、ここで集会や休日の学生たちの自主文化活動が行われました。

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 正面入り口に「楽」の文字が見えますが、「倶楽部」の「楽」で左右にちゃんと「倶」と「部」があります。

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 で、別の側面から見た倶楽部。ちょっと教会っぽいのが特徴。


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 で、その内部。なんだかやたら現代っぽい椅子が見えますが、気にしたら負けです(誰に?)。
 軍校の学生組織・青/年/軍/人/連/合/会の劇団「血/花/社」もここで休日に革命劇や啓蒙劇を上演していたことと思います。
また、1927年の蒋/介/石による反共クーデターの一日後には、軍校にも共産党員を逮捕する指令が下り、共産党員と目された200名近くの教官・学生がここに監禁され、一部は別の場所に移され殺された、という。

 この倶楽部も1938年に日本軍の破壊を蒙り、1993年に完全に再建されたものです。



遊泳場


 なんとこの黄/埔/軍/校にはプールまでついているのです。
うわっ、すっげー。1920年代の中国にプールがどのくらい普及していたか知りませんが、プール付きなんてなんか豪華でモダンな感じがしますね。

 で、くだんのプールは倶楽部の隣にあります。






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 ・・・・・・・・・・・・うん、わかっていたさ。まあ、そうだよね。ある意味期待を裏切らない出来だ・・・・・・。
 なんか水が水のはずなのに思いっきり緑っぽい色になっていましたが、まあ、当時はもうちっときれいだったのでしょう。

 この遊泳場は決して暑い広州において学生達を涼ませるために造られたものではなく、れっきとした軍事訓練施設でした。
 軍校には全国各地から学生が集まっており、中には海はおろか川も湖もないような地域から来た者もいました。当然、彼らは泳げません。しかし、実際には水郷地域などでの戦闘も想定されます。なので、泳げない学生を訓練するためこの遊泳場は造られました。
 当時はこの遊泳場と珠江が繋がっており、遊泳場で軽く身体を慣らしたから珠江で泳ぐ、という訓練だったのかもしれません。

 また、こんなエピソードもあります。
 ソ連は黄/埔/軍/校に出資しただけでなく、多くの軍事顧問を派遣していました。その中にパブロフという極めて優秀で中国人教官との信頼関係も良好な(ソ連の軍事顧問と中国人教官の間の仲は当初多くの場合あまり良好ではなかった)ソ/連/赤/軍の将校がいました。彼は戦場では大変勇猛果敢な将軍として名が知られていましたが、ただ一つ弱点がありました。それは、水が異常に怖い、というものでした。
 ある時、船から陸地までちょっとジャンプしなければいけない時がありました。それはたいした距離ではなく、大人の男であれば余裕で飛べる距離です。ところがパブロフは下船の際、顔面蒼白になって怯えたあげく足を滑らせて珠江に転落し、溺死してしまいました。

 ・・・・・・ちょっと怪しい箇所が無きにしもあらずなエピですが、ともかくこのパブロフの悲劇を繰り返さぬため、軍校は学生たちに水泳訓練を施す必要を痛感した、というわけです。


 ところで東屋みたいのが見えると思いますが、これは更衣所です。
 この更衣所が出来たのにも以下のような経緯があるそうです。


遊泳場が建設された当初は更衣室がなく、学生たちは宿舎で下着姿になると、そのまま衆目にさらされながら遊泳場まで歩いて行かなければならなかった。これは軍校の風紀を乱しかねないことであった。(『中国黄埔軍校』陳宇/解放軍出版




 ・・・・・・・・・・・・いったいなんのプレイだ、それは。
 って言うか、軍校から遊泳場まで軽く3,4百メートルはあるんだけど・・・・・・。
 風紀が乱れるって、最初から気づけよ、いやその前にどういうふうに乱れるのか詳しく聞きたい、腐女子的に。



おまけ


 黄埔島には他に「東/征/烈/士/墓/園」とか「砲台」とかいろんな関連場所があるのだけど、どこにあるか見つかりませんでした。
以前も書いた通り、この島は普通の住民も住んでいますが、軍事区域でもあります。なので立ち入り禁止の場所とかもあるはずですけど、私にはいまいちどこがそれなのかわからない・・・・・・うろうろしてうっかり軍事地区に近づいて軍人さんに声かけられるのも怖いんで、見つからない場所は(行きたかったけど)あまり探し回らないことにしました。
 まあ、だいたいは大丈夫なはずなんですけどね。でも一番最初に島に行った時、普通に道歩いていたら、突然歩哨が立っていたりしてびびりました。なんかその向こうの道も普通の街な気がしましたが軍人限定地区だったらやばいので逃げ帰ったのですが・・・・・・二回目行ったら歩哨に見咎められることもなく普通に進んでいけました。
 
 またここには軍事マニアも多いので、島のあちこちに有料で兵器などを展示している施設もいくつかあります。


 さて、軍事区域と言えば、こんなのもいました(以下の写真は2010年に行った時のものです)。

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 潜水艦!潜水艦! しかも建造中?

 ちなみに軍校正門近くにも金網越しの珠江によく軍艦が泊まっていますが、金網には「ここは軍事区域だよ、写真撮るならその結果どんなことが起こっても全部自分で責任負ってね☆」とかいう紙が貼ってあったような記憶があります。
 でもみんなふつーにパシャパシャ軍艦撮りまくってたけどね☆



 さて、そろそろ黄埔島ともお別れ。船着場で船を待ちます。30分に1本来ます。

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 さよなら黄埔島。


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 このへんは有名な造船場もあります(船のルートによっては通りません)。

 さて、次回の紅色旅行は、広州の他の革/命/遺/跡を紹介。
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