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記憶的海

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□ アラブ近現代史 □

クウェート動乱(1)

 サウジ初代国王、アブドルアジズの若い頃、クウェートでの亡命生活時代のお話しです。
 とある企画用に寄稿した原稿だったのですが、提出後にその企画自体がなくなる事態になりまして、お蔵入りにするのももったいないので、とりあえずこちらで公開します。
 全4回くらいに分ける予定です。














「シェイク(男性への敬称)・ムバラク! シェイク・ムバラクはこちらにおられるか!」
 威勢の良い声とともに賭博場の扉が蹴り開けられ、一人の青年が大股で入ってくる。薄暗い賭博場にいた男たちが、いっせいにどよめいた。しかし、十代後半のその長身の青年は、居並ぶ強面の男たちに全く怯む様子もなく彼らを睨みつける。
「やあ、アブドルアジズよ。我が若き友よ。こんな所に何用かな?」
 その場の重い空気にそぐわぬ軽薄な口調でそう言いながら、五十代くらいの恰幅の良い男が立ち上がった。
「博打は戒律で禁じられているというのに、またこんな所に来るとは何事ですか!」
「そうかそうか、ちょうど負けそうになっていたところだ。諸君、儂は逃げるのではないぞ。若き友が迎えにきたのだ。もう行かねば」
 ムバラクと呼ばれたその男は、賭博場の男たちに優雅に挨拶しながらアブドルアジズとともに外へ出て行く。

 一八九六年、オスマン帝国領クウェート。アラビア半島東部の一角、代々サバーハ家がアミール(首長)として治め、ペルシャ湾への入口にしてアラブ有数の良港を持つクウェートの街は、豊かで活気に富んだ街であった。一七七八年にイギリス東インド会社が≪インドへの道≫の拠点をこの地に置いて以来、国際貿易都市として発展していた。道行く人々はアラブ人はもちろん、トルコ人やペルシャ人、アルメニア人にユダヤ人、インド人やヨーロッパ人と多様である。
 その中を傍から見れば奇妙な二人連れが歩いていた。
「まったく、シェイク・ムバラクよ。あなたに神の慈悲があるように! いつになったら賭博から手を引くのですか、そもそもコーランには……」
「わかった! わかった! その話ならこの前さんざん聞いたではないか」
「この前は飲酒の件でした」
 ムバラクはアブドルアジズの言葉を急いで遮った。放っておけばこの青年は一字一句違うことなく暗記している聖典コーランの文句を引用しながら、賭博や飲酒などムバラクが好んで行う悪徳について数時間でも説教してくる。
「ああ、若者が年配者に信仰心や戒律について説教するなど世も末だ。普通は逆ではないか」
 ムバラクはやや芝居がかった大げさな口調と身振りで嘆いたふりをして見せる。アブドルアジズは軽く睨むがそれ以上強くは出られなかった。
 青年の名はアブドルアジズ・イブン・アブドルラハマーン・アル・サウド、十六歳。出身はアラビア半島の内陸部、ナジド地方と呼ばれる中央アラビアのリヤドであった。そしてかつてはアラビア半島の大半を支配下に治めたサウド王国の最後の王アブドルラハマーンの嫡男である。
 サウド王国は、現在のイスラームを堕落したものとし、六世紀の預言者時代の原初イスラームへの回帰を主張するワッハーブ主義を掲げて十八世紀中頃から勢力を広げ、最盛期にはアラビア半島の大半を支配下においた。苛烈なほど聖典コーランの原理原則を守り、一時は聖地メッカをも奪取し、イスラームの盟主オスマン帝国のアラビア支配にも反抗したので、かの大国とも長らく争いを続けてきた。
 しかし五年前の一八九一年、ラシード家という豪族がオスマン帝国の援助を受けて王国を攻め滅ぼした。ワッハーブ派のイマーム(宗教指導者)であり、サウド王国の最後の王であるアブドルラハマーンは、十一歳のアブドルアジズはじめ幼い息子たちを連れて王都リヤドから逃げるしかなかった。
 放浪のサウド一家を救ったのが、クウェートの現アミールであるムハンマド・アル・サバーハである。彼は三年前に一家をクウェートに招き、街の中に住居を与え、毎月の手当てを支給してくれたが、その給金は一年でぱたりと途絶えた。以前から儀礼的なつき合いのみの男ではあったが、今ではサウド家に何の関心も持たないかのようである。
 ムバラク・アル・サバーハは、そのムハンマドの異母弟である。しかし昔から兄と対立が深く、六年前に追放同然でインドのボンベイへ渡っていた。そして五ヵ月前の年の始めに、許しもえず唐突に帰ってきたのである。アミール・ムハンマドは激怒しており、クウェート人の間では「あの兄弟、いつか殺し合いになるに違いない」ともっぱらの噂であった。
 立場も年齢も性格も全く異なる二人であったが、今のクウェートにおいてはぐれ者である点は共通していた。
 中央アラビアの情勢について話がしたいと、ムバラクがサウド家を訪ねたのは、彼がインドから帰還してすぐのこと。アブドルラハマーンは表面的には礼節を持って応対したが、内心迷惑に思っていた。ムバラクが飲酒も博打も女遊びもするという噂は聞き及んでおり、コーランの教えを極端に厳格に守るワッハーブ派のイマームからすれば忌避すべき男であったし、それ以上にアミールがこの訪問を危険視するのを心配したのだ。
 しかし、アブドルアジズの反応は違った。オスマン帝国やインドの情勢、そしてイギリスの対外政策に至るまで、ムバラクは豊富な知識を持っていた。もっと詳しく話を聞きたいと思ったが、敬愛する父の意向に逆らうのは躊躇いがあった。何より彼自身もワッハーブ派の忠実な信徒として戒律破りは許せないし、クウェートにおけるサウド家の苦しい立場も理解している。
 それでも一日中悩んだあげく、アブドルアジズは父に秘密でムバラクの家の扉を叩く。一度だけ、少しだけのつもりだった。しかし彼の話すインドや西欧の情勢に関する話は実に面白く、その家に入り浸ることが多くなった。しまいには師弟のような関係になり、ムバラクから歴史や数学、英語を学ぶようにさえなった。アブドルアジズが教育を受けるのは、コーランを暗唱できるようにする以外は興味の無いワッハーブ派のウラマー(イスラーム法学者)たちが教師だったリヤド時代以来のことであった。
「感謝していただきたいですね。またあなたが大負けする前に、悪徳の巣窟から連れ出したのですから」
 アブドルアジズがそう言ってやるとムバラクは豪快に笑った。この男はいつも陽気で朗らかだ。ワッハーブ派のウラマーは大口を開けて笑うこと自体、神への祈りへ集中するのを乱すと忌避していた。しかしアブドルアジズはやはりその陰気な世界よりも、ムバラクの生気溢れる様子の方が好ましかった。
「しかし、シェイク・ムバラク。あなたは賭け事が好きなわりにはよく負けますが、いったい何処にそんな金が余っているのですか?」
 六年前にクウェートを追放された時、ムバラクはその放蕩生活で亡父の遺産の分け前を使い果たしていたという。帰還してからもアミールによってサバーハ家の財産に手をつけることは許されなかったにも関わらず、彼は金が有り余っているようであった。
「神は偉大であり、その寛大さは無限だ」
 ムバラクは顔を伏せ、これまたわざとらしく慎ましやかな口調でそれだけ言う。この話を彼はいつもはぐらかす。


(続)



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