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□ アラブ近現代史 □

クウェート動乱(5)

 今回で最終回となります。
 『クウェート動乱』とか言いながらあんまり動乱していませんが、実は本当のクウェートの動乱はここからなのです!!
 ただ、この作品を寄稿した某企画の規定で19世紀の出来事のみを対象にしなければならず、本格的なクウェートの波乱は1901年になってからですので、今回はここまでとなりました。

 このあたりのクウェート、と言うか、ムバラクとアブドルアジズのことを知りたい人はかなり古い本ですが

『石油に浮かぶ国 : クウェートの歴史と現実』(牟田口義郎著/中央公論社 〔中公新書〕/1965.8 )

が、お勧めです。なぜか「愛」という言葉を多用しまくるアラブ近現代史の専門家の牟田口先生のねっとりした文章が最高なのです!!



 それでは本編をどうぞ。












 アミールを倒すと屋敷の兵士も召使も反抗心を無くし、制圧は容易であった。これ以上手伝う義理の無いアブドルアジズは、二人の息子と数人のベドウィンの男たちに彼らを縛り上げるよう指示を出しているムバラクを鋭い眼光で見つめていた。
「ジャービルが少し口を滑らせてしまったというから、君なら気づくかもとは思っていたが……この場に来てくれるとはな」
 一通り後始末を終えたムバラクは、他の者を退出させてアブドルアジズに向き合い、いつもと変わらぬ口調で言う。しかし二人の間には微妙な緊張感が漂っていた。どこか突き放すような口調でアブドルアジズは言う。
「私が来る必要もなかったようですがね。あなたの味方も一人倒してしまったようだ」
 てっきり大した味方もいないかと思っていたら、ムバラクは数人のベドウィンを雇っていたようだ。簡単に屋敷に入れたのも内部に内通者を作っておいたのだろう。
「ああ、ベドウィンたちは金さえ積めば何でも頼める」
「その資金の出所はイギリスですか?」
 アブドルアジズはいきなり核心に踏み込む。ムバラクは探るような目で、何故そう思う? と問いかける。
「イギリスはペルシャ湾における優位を保ちたいとのこと。しかし、今のアミールは……ああ、もう前のですか……オスマン帝国の知事だ。最近は帝国とドイツの接近が著しい。オスマン帝国がドイツの望みに応えてクウェートまで鉄道を敷くよう言えば、ムハンマドはそれを受け入れる。イギリスとしては何としても避けたい事態でしょうね」
 そこでイギリスは、兄と対立してインドに来ていたムバラクに目をつけた。イギリスは彼がアミールになるのとその体制を支援する、代わりにムバラクはオスマン帝国から離れイギリスのペルシャ湾における利益を守る。そんな密約がインドで交わされたに違いない。手持ちの情報や彼の不可解な資金源を考えると、そのような仮説が浮かび上がってきた。
「イギリス人も卑劣な連中だ。利益が欲しいなら自分で手を汚せば良いものを」
「そんなことをしたら、帝国もドイツも、それ以外の列強も黙っておらぬだろうよ。奴らは利を奪い合いながら戦争になるのだけは恐れている。だから代理人を使うというわけだ」
 そう、人々が目にするのは、仲の悪い兄に侮辱された弟が見事その報復と権力の簒奪を実現したというこのアラブ社会ではお決まりの物語。列強はその裏にイギリスの暗躍があるのを気づくだろうが、表向きはただの兄弟間の争いなのだから口を出す筋合いがない。
「そしてあなたはその役を買って出て、アラブの地を異教徒に売ろうとしているわけだ」
「……先走るな。今の話はただの仮説であろう」
 ムバラクは慎重な口調で言う。アブドルジズがずっと腰の剣に軽く手をかけ、隙あればその喉元に噛みつこうとする獰猛な獣に似た目で自分を見ていることに気づいているのだろう。
「仮にそうだとしても、すでにクウェートは列強の欲望が集中しているのだ。兄のようにオスマン帝国に従っているだけでは、この地は争いに巻き込まれ地獄と化すであろう。それよりはむしろ強大な力を持つ国を一つ選び、早めに協力関係を結んでおくのがクウェートのためというものではないか?」
「それを私に信じろと?」
 アブドルアジズは冷えきった声で言う。彼の言う通りクウェートのためなのかもしれないし、単に彼個人の利益のためかもしれない。例え後者であっても、ムバラクはクウェートのためだと言ってのけるぐらいはやるだろう。
「……では、アブドルアジズよ。ならば儂をどうするかね? オスマン帝国からの解放を目指して戦い、異端と看做したムスリムを殺して回った君の祖先とワッハーブの戦士のように儂を裏切り者として処断してみせるか?」
 そうすべきかもしれない、とは思っている。どんな理由であれアラブの地を異教徒に売るかのような真似をする者を許してはおけないと。ベドウィン達はどうせ雇われであるし、ムバラクと二人の息子を殺してこの場を去るくらいはできる自信もあった。だが……。
 アブドルアジズは大きく息を吐き、剣の柄から手を離す。
「そういう者が、今夜この場にいるわけないでしょう」
 ムバラクを殺すことが出来るくらいなら、裏の事情を察しながら彼に死んで欲しくない一心で助けに駆けつけたりはしない。駆けつけた自分を見た時点で、ムバラクにはそれが分かっていたであろう。今回の賭けは彼の勝ちだ。
「帰ります。……あなたは全く良い≪師≫ですよ、いろいろな意味で」
「ああ、今夜の加勢、感謝するぞ」
 惨劇の屋敷を出て空を見上げると、下弦の月が淡く地上を照らしていた。その月を見上げながら、アブドルアジズは落ち着いたらまたムバラクの所に行こうと決めた。
 西欧列強がアラブの地を狙っていると聞いても、その深刻さを本当には理解していなかった。しかし、今夜のことではっきりと思い知った。つまり≪あのようなこと≫が起きるのだ、アラブとムスリム同胞の運命を翻弄する事態が。ムバラクはまったく良い≪実践教育≫をしてくれた。
 ムバラクのことは許してしまったが、やはり彼のやり方は肯定できない。自分なら別のやり方でこれからアラビアを襲う困難と対決したい。とは言っても、その方法とは何かはまだ分からない。
 だから彼の傍で学ぼうと思う。これから何が起こるか、どのような陰謀を西欧列強は仕掛けてくるか、ムバラクはどう対応するのか。新しいアミールの傍は、それらを学べる最前線だ。
『……君が本当の息子で儂の片腕として事業を手伝ってくれればと思っているのだよ』
「……私も、そう出来たらどんなに良かったかと思います」
 あの時、ムバラクにそう言われて、本当に嬉しかった。そう出来たら良かったと思わず答えそうになってしまった自分に愕然とする。彼が教えてくれる未知の世界に惹かれたし、クウェートに閉じ込められ誰にも相手にされない自分を顧みてくれたのはムバラクだけだった。つまり彼が好きだった。
 だが、結局ムバラクの片腕という存在にはなれない。自分は己以外の何者にもなりたくないし、これから彼が作っていくこのクウェートは、自分には狭すぎて息が詰まる。それでも今しばらく、ムバラクの鳥籠で飼われる鷹でいよう。いつか、自分の力でどこまでも飛んで行ける日まで。


 ムバラクは夜明けとともにクウェートの有力者たちを招集し、その合意を得て新アミールの座に就いた。クウェートの人々は、こんな大胆な方法で報復を遂げたムバラクを英雄のように称えた。一方、クウェートにいる西欧人は、やはりアラブ人は野蛮だ、とアラブ人特有の問題であるかのように眉を顰めていた。オスマン帝国はこの簒奪劇に不快感を表している。
 そんな中、アブドルアジズの元にムバラクから知らせが来た。これから自分の秘書として働いてほしいと。アブドルアジズは、すぐにその申し出を受け入れた。


 一八九九年、ムバラクはイギリスと独占条約を密かに結び、クウェートはイギリスの保護国となる。そして一九〇一年、クウェートを巡る列強の駆け引きを充分に学んだ後、ムバラクが止めるのを振り切って、アブドルアジズはわずかな仲間を募り、サウド家の王権奪回のためクウェートを飛び出して行った。
 翌一九〇二年一月、彼は大胆な奇襲作戦でラシード家のリヤド総督を殺し、かつての王都リヤドを奪還したのである。二十二歳のアブドルアジズはそのまま新生サウド王国の王に即位。その勝利を足がかりに、ラシード家やオスマン帝国と戦い続け、イギリスとの危険な駆け引きを乗り切ってアラビア半島の八割を征服。一九三二年、世界が世俗主義へと向かう二十世紀にあって、最も厳格にイスラームの理念を実行する彼の国は、サウジアラビア王国を名乗る。
 一般に≪イブン・サウド≫の名で知られるアブドルアジズの勢力が増すにつれて、クウェートとの関係は悪化することになる。しかしクウェートを飛び出して以来、遥かな沙漠を駆け抜け、二度とムバラクの鳥籠に戻ることは無かったアブドルアジズは、関係悪化の後でも彼の名を懐かしく語っていたという。

                                                                           



 (終)
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