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記憶的海

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悠也

Author:悠也
 当ブログは同人サークル「まぶいぐみ」の中国近現代史萌え語りブログです。
主に中国近現代史(辛亥革命以降・林彪中心)の妄想小説を扱うほか、その時々でブログ主がはまっているアニメ・漫画、その他の歴史について好き勝手に語っています。
  BL的腐女子的表現があります。
 一部創作BL小説はパスワード制です。

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ブログについて

 ブログの説明です。
 初めてお越しの方は、一読してくださると助かります。




心象スケッチ

「つまらん」
 清衡( きよひら)の一言に、写経をしていた僧侶らはもちろん、つまらんと言われた当の絵師は一瞬で胆が冷えた。清衡の不興を買ってしまったのだろうか。


 江刺の益沢院。ここでは清衡の発願による紺地金銀交書一切経の写経事業の一部が行われていた。
 奥羽(東北地方)の新しい支配者となった藤原清衡は、長く戦乱と都の圧迫の下にあったこの地を安寧に満ちた仏の国、仏国土にしたいとさまざまな事業を行っていた。そのうち一つが、金と銀の泥を墨替わりにして写経する紺地金銀交書一切経の制作である。清衡は数年前に奥羽統治の拠点を平泉に移していたが、その前に拠点としていた江刺地域を今も大事にしており、写経事業の一部もこの地で行っていた。
 写経には経文を書く僧侶たちだけでなく、経典の巻物の表紙に描く絵、見返し部分に描くため見返絵を描く者も必要だ。清衡はその下絵を描かせるために都から絵師を呼んでいた。

「絵の腕に覚えがある者ならば、どのような者でも良い。自由に仏の慈悲を功徳を描いてほしい」

 呼びかけに応じて奥州に下向してきたのは、比較的若手で技術はあるが、公卿お抱えの著明で権勢もある古参絵師たちの下に押さえつけられ泣かず飛ばずとなっている者が主だった。蝦夷の地と言われる奥羽は都人にとってまだまだ恐ろしげな地であったが、これらの若手絵師たちは清衡が示した条件の良さと、自由にやって良いという言葉に惹かれてはるばるやってきた。ここなら都のしがらみもなく、己の才を発揮できると思ったのだろう。
 清衡に「つまらん」と言われた若い絵師もまさしくその一人であった。都では高名な絵師の数ある弟子の一人であったが、公卿たちとツテのある者ばかりに仕事が来る。もしその慣習を破って自分を売り込みに行けば、たちまち仲間たちから潰されるという身動きの取れない都からこの平泉という新しい地に活路を求めてやってきた。

「……あ、あの御館(みたち)様。なにかお気に召しませんでしたでしょうか。では、どのような絵をご所望でありますか?」
 絵師が都にいた頃、師としていた老いた絵師はかの藤原道長の写経事業において見返絵を描いた男であった。絵師はその道長経の見返絵の模写を手本に必死に学んできた。
 経典の見返絵はだいたいの型が決まっている。極楽浄土の様子や仏の功徳を伝える場面を描き、後はそこに絵師の技を如何に生かし完璧な出来にするかが問われる。
 この絵師もちょうど釈迦が衆生に説法をする絵を描いているところであった。
 都で培った技術をこの北の辺境の地で行われる写経にぶつけようと思った。蛮族蝦夷の地と言われるこの地に都の優れた美を移植して名をあげたいと思った。苦言を呈された時の恐れが去ると、やはり蝦夷の地の者には都の絵の素晴らしさがわからないのかという考えさえ浮かんでくる。
「そうだな、例えば……」
 清衡は下書き用の筆と紙を取るとなにやらサラサラと描きはじめる。絵師は完成した絵を見てしばらく考えこんでから言った。
「なるほど。衆生が仏にひれ伏している場面ですか」
「いや、猟師が鹿狩りをしている場面だ」
「………………」
「………………」
「………………申しわけありません」
「いや、良い。私に絵の才が全く無いことはわかったであろう」
「………はあ………」
 絵師はなんとか頭を捻って清衡が描いたものを考えたが、教えてもらわねばそれが狩猟の場面だとはわからない。いや、教えてもらってもあちこちに線が飛び交うこの絵が狩猟の場面だと納得するのは困難であったが。
「し、しかし、経典の見返絵に狩猟の絵を用いるなど……」
 仏の教えは殺生を禁じている。それは獣に対しても同様。そうだというのにまさしく獣を殺している場面を経典の見返絵に用いるとは。
「都人よ。私も開墾事業を進めているが、この奥羽の地は寒く作物が育ちにくい。民は生きていくために獣を狩りその肉を食せねばならぬ、その毛皮を剥いで冬を生き延びねばならぬ。私たちもまたこの奥羽のさらに北、蝦夷ヶ島(北海道)に住む民から海豹の皮や鷲の尾羽を買うことで、かの地での獣の殺生に加担している。しかしその北の富が無ければこの地は豊かにはならぬし、それを都に送らねば都の不興を買いこの地の安寧はなくなる」
 絵師は黙って清衡の言葉を聞いていた。この北の主が自分のような絵師に諭すように語りかけてくれている。
「奥羽の民は仏が禁じる殺生の罪障を負っている。では、それゆえに彼らは仏から救済されぬであろうか。いや、私は仏の慈悲は限り無いと信じる。仏は殺生の罪を犯して生きる者をも救済するであろう。その仏の慈悲深さを表すために、あえて経典の絵に狩猟の場面を描くことも私は良いと考えている」
「で、では御館様は私にそのような絵をお望みで」
「いや、そうではない。今描いて見せたのはあくまで一例だ。私であればこれを描くだろう。狩猟は奥羽の民の大切な生業だ。そしてそれが赦されることを。あるいは他の奥羽の風俗の絵も描くかもしれない。なんにしろこの写経は戦乱に苦しんだこの奥羽の民の救済のためのもの。奥羽の地にふさわしい経典にしたいと思う。だが……」
 清衡はいったん言葉を切って続けた。
「私がこういうふうに、こういうものを描けと言えば、絵師たちは今度はそれに合わせようとするだろう。……そなた、私が最初に何と言って呼びかけた覚えておるか」
「……はい、“自由に仏を描け”と……」
 そこまで言って絵師は黙り込んだ。やっと気がついた、それが清衡の望むすべてであった。
「都では経典の見返絵が定まっていることは私とて知っている。だが、千里の旅を経てこの地でお主が描きたいものはそれであったのか」
 古い伝統を持つ都、逆に言えば因習としがらみでがんじがらめの都を逃れ、新しく生まれた北の都で自由にやれると思ったからこの地にやってきた。だが、自分の絵師としての心は縛りつけられたままであったことに今さら気がつく。
「………私はいったい何を描けば良いのでしょう………」
 自由にやって良いと言われてここにやってきた。しかし今、その言葉と向き合うととたんに分からなくなる。定まった様式から離れてどんな絵を描けば良いのか……仏の功徳を表す絵とはそもそも何であるのか……自分はどんな絵を描きたかったのか……
「わからぬならわかるまで考えれば良い。なに、この写経事業はまだ何年もかかる。……そなたがこれが仏の功徳を表す絵だと心から思ったものを描けばどんな絵であれそうなのであろうよ。仏の慈悲は限りない、何であれ受け入れてくれるだろう。そして、都の軛を逃れてこの地に望んで来た者が心のままに描いた絵こそが、この奥羽の地にふさわしい経典となる」
 先の狩猟の絵の論理と同じだ。仏は慈悲深くすべてを救ってくださる。だから自由に思い描いた絵を経典の見返絵に用いること自体が仏の功徳を表現することである、と。

 絵師はしばらく考えこみ、言っった。
「では、私にしばし時をいただけますでしょうか。そしてこの奥羽の地を見て回るのをお許し願いたい。……何を描きたいか、恥ずかしながら私はまだ分かりませぬ。しかし、この地で描くと決めたからには、まずこの地を知るべきでした」
「そうだな。それで何か分かるにしろ分からぬにしろ、まずはそれをやってみるが良い。そなたときたら、都からやってきてそのままこの院に閉じこもっておったからな」
 清衡は言いながらサラサラと何かを書きつけ渡してくる。
「良い絵を描けよ」
 この男に奥羽での通行を保証する証文であった。文末に戯れに絵が描かれている。
「なるほど阿弥陀如来様ですか」
「いや、蓮の葉の上にいる蛙を描いたつもりだ」
「………………」
「………………言っておくが、私は斬新に描こうとしたつもりはなかった」
「すみません」
「良い」


 平泉文化の至宝、紺紙金銀字交書一切経五三〇〇巻の写経事業は八年の歳月をかけて天治二年(1125)に完成した。
 深く紺色に染めた紙に金と銀の字で交互に写経するという非常に珍しく仏教美術としても素晴らしい出来であるが、同じく金を用いて描かれた見返絵もまた豪華絢爛であった。
 このような経典の見返絵は一定の型があるが、清衡の紺紙金銀字交書一切経には定型に収まらない創意工夫に満ちた多様な図案が用いられているものがあり、都の模倣ではない柔軟性と進取の精神に富んだものとなっている。それはまさしく北の地に花開いた平泉の文化の在り方そのものであったと言えるかもしれない。







解説


 2016年の初夏に平泉で開催された「今年は平泉特集!」みたいな『岩手考古学会』を聞きに行く機会がありました。専門の先生方が話されている内容は半分もわからなかったものの、何かのきっかけである平泉研究がご専門の某先生が「中尊寺経」の見返絵に言及しはじめまして……
 曰く、当時の経典の見返絵には決まった様式があったが、中尊寺経の見返絵にはかなりの柔軟性や個性がある。平泉文化の柔軟性やら先進性を表している云々というお話をされていたと思います。
 残念ながらその時の資料を無くしてしまい、私のメモも不十分なものだったので本当に某先生がそう言っておられたか必ずしも正確ではありません。ただ私の記憶の中ではそういうふうに残っており、そこからこのネタが生まれました。

 仏教美術にも詳しくないため、中尊寺経の絵の何がどう柔軟性に富んでいるのかもわからないのですが、平泉関係の文献などを読んでいると確かに「多様な絵柄」「多様な図柄」「脱定型」という言葉が散見されるので、まあそうなのでしょう。

 ちなみにここでは清衡の「紺紙金銀字交書一切経」を題材としましたが、清衡の子・基衡による「金字法華経」、清衡の孫・秀衡による「紺紙金字一切経」というのもあり、これらをまとめて「中尊寺経」と呼びます(これらの経典は完成後、清衡が創建した中尊寺に収められました)。
 某先生が「柔軟性に富む」と言ったのは中尊寺経のどれを指してのことか今では不明ですが、平泉研究者の故大矢邦宜先生の『図説 平泉』では清衡の紺紙金銀字交書一切経について「多様な絵柄」、秀衡の紺紙金字一切経には「秀衡発願の金字一切経の見返し絵にも、金銀字一切経と同様、多様な図様がみられる」とあるので、つまりどちらも柔軟性があると言ってよいのでしょう。

 また、「あえて殺生の場面を描く」ことについてですが、清衡の孫の秀衡が建立した無量光院という寺院の壁にはなんと秀衡自らが狩猟をしている場面が描かれていました。
 秀衡はなぜ殺生図を描いたのか? 前述の『図説 平泉』(大矢邦宣)には大矢先生の見解として「殺生をしなければならないみちのくの民の宿命とそれらの罪を代わって懺悔する秀衡」という趣旨の説が載っていまして、作中で清衡が語ったことはそれをネタ元としています。

 と言うわけで以上です。お付き合いありがとうございました。


 

子どもたちへ

 そろそろ夕日が傾きはじめる刻限だ。


 源義経は法華経を写経する手を止め、傍らに目をやる。そこには小さな童子が子犬のように丸くなりすやすやと眠っていた。掛けるものが無かったので義経の上衣を一枚かけてやっている。
 童子は派手ではないがいかにも質の良さそうな衣を着、あどけない寝顔にもどこか品がある。名は万寿、数えで6つ。奥州の御館藤原秀衡の嫡男、泰衡の息子である。
 義経にとって二度目の平泉。戻ってきてみたら昔ここを飛び出して行った時にはいなかった子どもが生まれていた。
 万寿は初めて会った時からすぐに義経になついた、父親とは大違いである。
 今日も従者に連れられて衣川の義経の館に遊びに来ていた。万寿が衣川の義経の館に遊びに行くのを泰衡はあまりよく思っていないことを義経も薄々気づいていたが、何も気づいていないふりをして万寿を歓迎する。
 お遊び程度に弓を教えてやり、与えた菓子を食べると万寿は眠ってしまった。戸惑う従者たちを隣室に下がらせ、そのまま寝かせておいてやる。
 義経は子どもは好きでも嫌いでもない。どちらかと言えばあまり相手にしたくはない。しかしなついてくる万寿は可愛かった。泰衡の息子だと思えばなお可愛い。

 ……それに、あのお方もこのくらいであられた……

(ま、そろそろ起こしたほうがいいか。日が暮れてしまう)
 義経は軽く万寿をゆする。ぅん、と愛らしい声を上げ、眠そうに目をこすりながら起き上った。
「おはよう万寿」
「……おはようございます、九郎のおじちゃん」
「……九郎おじさんじゃなくて、九郎お兄ちゃんな」
「う、うん、九郎おにいちゃん」
 六歳児に実に大人げない注文をつける。義経が軽くすごんだせいか万寿はちょっと怖がったようにも見えたが素直に訂正した。
「もう帰りなさい。これ以上いると暗くなる」
 万寿はえ~、と声をあげ口をとがらす。
 それにしても、まだ幼いながらこうしてみると万寿は実に父親によく似た顔立ちだ。大きくなったらそっくりな外見になりそうである。
 義経はもちろん童子の頃の泰衡は知らない。泰衡がこんなふうに自分に向かって素直に笑いかけることも絶対にない。だいたいが仏頂面で、近づくと避けて、せめて息子の半分の半分くらいでも素直になればいいのに。
「九郎おじ……おにいちゃん、きょうもおはなししてくれなかったぁ」
「何のお話し?」
 わかってはいたが、義経はあえて知らないふりをした。
「へいけとのたたかいのおはなし! 九郎おじちゃんすごかったんでしょ! みんないってるよ。えっと、なんとかのなんとかおとしとか、はっそうとびとか。それでいつもかってあのへいけをほろぼしちゃったんだよね!」
 万寿は目を輝かせながら義経を見つめてくる。平和な平泉で育ったとはいえやはりこの子も男の子だ。戦ごっこや戦の話が人並みに好きなのであろう。
 平泉も内乱の動向は当然注視しており、独自に情報を収集していた。義経が平家とどのように戦ったのか、かなり知れ渡っている。特にその活躍ぶりは多少の尾ひれをつけ、面白おかしく人々の話の種にもなっていた。
 そういう話を大人たちから漏れ聞いていたであろう万寿からすれば、そんなわくわくする話の“英雄”義経が目の前にいるのが純粋に嬉しいのであろう。ぜひとも戦さのいろいろな話を義経自身の口から聞きたいと思っているに違いない。
 だが平泉の泰衡の館であれ、この衣川の館であれ、義経は万寿に平家との戦の話をすることはなかった。
「ねえねえ、いつおはなししてくれるの? こんどあそびにきたときしてくれる?」
「しないよ」
 義経はあっさりと言う。
「ええ! なんでなんで?」
「楽しい話じゃないんだよ」
 万寿の頭を撫でながらむしろ優しい声で義経は言った。万寿はもちろん納得のいかない顔をしている。この子にわかるとも思えないし、わからないままの方がいい、と義経は思った。
「いろんなことが……そういろんなことがあったんだ。話すようなことじゃない」


 平氏の赤旗が次々と海に投げ捨てられる。すでに戦いの趨勢は決し、源氏方に投降しようという平氏方の諸武将が旗を海に投げ捨てたのだ。さながら海が紅葉に染まったかのようである。
 そこに艶やかな花が散る。平家の女や女房が煌びやかな衣裳をまとったまま次々と海中に身を投じていく。
 義経はただ御座船を目指していた。そこに幼い先帝と神器がある。しかし、御座船のすぐそばまで辿りつきながらそれ以上近づくことは叶わなかった。平氏の家人らが最後のすさまじい抵抗をして義経の行く手を阻む。御座船の者たちに最期を遂げさせるために。
 ふと義経は御座船の船頭の人影に気づいた。尼姿の女と彼女に抱えられた童子。この戦場にいる童子など先帝以外にありえない。
「帝」
 義経はすでに彼が廃位されているのも忘れて呼びかけた。その声が聞こえたわけでもなかろうが、先帝はちらりと義経の方を見た。その顔が一瞬、万寿と重なる。
 次の瞬間、先帝が彼を抱えた二位尼ごとふわりと宙に浮いたかと思うと、そのまま海中に没した。あの子はまだ数えで8つであった、それを自分達は……。


「九郎のおじちゃん?」
 万寿に呼びかけられ義経は我に返った。いつの間にか万寿が膝の上に乗り不思議そうな顔で見上げてきている。
「どうしたの? どこかいたいの?」
「……なにも」
 義経は無理に笑顔をつくる。その笑顔は少し歪んでいたかもしれない。
「万寿」
「なあに?」
「君は何も知らないから聞きたがる。源氏と平氏の戦いを。でも、あの戦いには英雄も感動的な話も何もない。ないんだよ」
「……」
 万寿は当然ながら意味がわからないようだ。しかし分からないながら、耳を傾けているのを見て義経は続けた。
「でも一つだけ、教えてあげよう。今はなんのことかわからなくても聞いておきなさい」
「うん」
「浪の下に都なんてない」

 万寿はこれ以上ないくらい首を傾ける。その小動物のような愛らしさに義経は思わず微笑を浮かべながら続けた。

「なあ万寿、これから君の身に危ういことが起こる時もあるかもしれない。誰かがもうだめだからと、それが君のためだからと、君を抱き上げて暗い海の中に沈もうとするかもしれない。……でもその時は、その手を振り払って逃げなさい。君一人だけでも」
 二位尼を責めているわけではない。自分を含めあの戦に関わりのあったすべての大人たちがよってたかって幼帝を追いつめた。
 幼帝だけではない。義高、大姫そして自分と静の赤子……どれだけの子ども達が大人達の身勝手な都合で振り回され犠牲にされてきたことだろうか。
 そして戦の気配はこの平泉にも近づきつつある。
 直接の原因はほかならぬ自分だが、秀衡が言うには事態は義経を差し出せば収まるという話ではないという。元々源氏は百年も前から奥州の地を狙っていたのだ、情勢が急展開する中でいつか攻めてくることは避けられなかったのだと。
「万寿、これから私も君の祖父も君の父親も奥州の武士たちもそれぞれやらなくてはいけないことができると思う。でも、君がそれに付き合う必要はないんだよ。もし安全な場所じゃなく、危険な方へ君を連れていこうとする大人がいたら、迷わずその手を振りはらい振りかえらずに全力で逃げなさい。二度と海の底に沈められないように。そして明日が来るのを待ちなさい。それが君がやるべきただ一つのことだ」
 万寿はもうこれ以上傾きようがないと思っていた首をさらにかしげ、体勢を崩してこてっと倒れてしまった。義経はくすくす笑いながら抱き起してやる。
「今は分からなくても忘れるなよ。君の父君もきっとそう願っている」
「ほんと?」
「きっとそうだよ。でも泰衡殿も立場があるからね。自分の口からは言えないよ。だから私が代わりに言ってあげた。あ、このことは泰衡殿には秘密だぞ、わかったね」
「うん、じゃあ九郎おじちゃんと万寿とのひみつだね」
「お、に、い、ちゃ、ん、な」



「御曹司! もう若君を平泉に返しませんと暗くなってしまいますぞ……って、なに泣かせているんですか」
「いやぁ、言葉遣いというものを教えてあげただけだけど、今のそんな怖かったかな?」
 確かに弁慶の言うとおり、今すぐに平泉に出発しないと暗くなってしまう。
「ほら万寿、泣くな。私が伽羅御所まで送ってやるから」
 義経は弁慶に用意させた馬に万寿をかかえたまま乗る。判官殿がそのようなことをせずとも自分達が若君をお送りします、と万寿の従者たちは困惑していたが、義経は意に介さず彼らを後ろに従えて出発した。せっかくの泰衡に会う口実を手放すわけはない。
「ねえ、九郎おじ……おにいちゃん。ちちうえはどうして万寿が九郎おにいちゃんのとこにあそびにいくのいやがるのかな?」
「べつに泰衡殿も嫌がっているわけじゃないぞ。あれは戸惑っているんだ。泰衡殿は生真面目だからね。自分の息子と私が仲良くしている光景みると複雑な心境というやつになるんだよ」
「???」
「ま、これも一つの大人の事情ってやつだ。なんだったら泰衡殿に直接聞いてごらん? 『ちちうえは万寿と九郎おにいちゃんがなかよくしているのみるとどんなきもちになるの?』って」
「これはひみつじゃないの?」
「むしろ泰衡殿がどんな反応をしたか後で聞きたいね」
 その時、泰衡がどんな反応をするか想像するだけで楽しい。いや、その前に今夜自分が幼い息子を抱いてやってきたらあの男はどんな顔をすることか。
 泰衡がいま素直に腕の中に抱えられている息子の半分の半分の半分も自分に対して笑顔も見せてくれないのなら、せいぜい困らせて面白い顔をみてやりたい。そう思いながら、義経は万寿をかかえ直すのだった。



  願わくば、この子の生きる道が長く続くように、と心の片隅で思いながら。

クウェート動乱(5)

 今回で最終回となります。
 『クウェート動乱』とか言いながらあんまり動乱していませんが、実は本当のクウェートの動乱はここからなのです!!
 ただ、この作品を寄稿した某企画の規定で19世紀の出来事のみを対象にしなければならず、本格的なクウェートの波乱は1901年になってからですので、今回はここまでとなりました。

 このあたりのクウェート、と言うか、ムバラクとアブドルアジズのことを知りたい人はかなり古い本ですが

『石油に浮かぶ国 : クウェートの歴史と現実』(牟田口義郎著/中央公論社 〔中公新書〕/1965.8 )

が、お勧めです。なぜか「愛」という言葉を多用しまくるアラブ近現代史の専門家の牟田口先生のねっとりした文章が最高なのです!!



 それでは本編をどうぞ。





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